interview with GAN

誰かの家の床で寝かせてもらって。もし出来るなら明日にだってまた同じことを喜んでやるよ

ハードコアパンクシーンの衰退により、陰りを見せ始めた80年代後半のUKパンクロックシーン。突如現れたSNUFF、LEATHERFACE、MEGA CITY FOUR。彼らの登場によりUKメロディックシーンはイギリス全土において爆発的な盛り上がりを見せた。そんな最中90年代初期、これまでハードコアバンドを多数リリースしていたDAN/SOFAHEAD率いるイアンのMEANTIME RECORDSがS.M.R.へと変名し、世に送り出したGANの1stアルバムは、メチャクチャださいアニメジャケとは裏腹に泣きまくりの青春メロディック/ポップパンクで、当時生息していたマニアックなメロディック/ポップパンクファンをあっという間にノックアウトした。DOLL誌上においても過去2回(1994年12月号、2006年11月号に掲載)この時代の重要作品として紹介されている。そんな彼らがこれまでリリースした名盤1stアルバム、3枚の7”シングルが15年以上の時を経てついに完全ディスコグラフィーCDとしてリリースされました!!このバンドの詳しい情報はリアルタイムでGANを聴いていた人でも、全く知られていないので早速、中心人物のDAVEとCHRISに何度かメールを介しインタビューを行った。

▲やあ、クリスにデイブ。日本の雑誌のインタビューは初めてだと思うからまずは自己紹介をお願いします。僕も含め、君たちの情報は日本では広まっていないので詳しく教えてください。

CHRIS(以下C)「僕はクリス、GANでベースをやっていたよ。アンディーがギターで、ワーティーがドラム、デイブがシンガーだった。僕は結成時からのメンバーじゃないからヒストリーについてはデイブが話すべきだと思うよ。ほらデイブ。」

DAVE(以下D)「GANは同じ学校に通っていた僕とアンディー、ワーティーで始めた。地元で数回ライブをやって基本的には楽しむ為にやっていた。クリスが加入するまでは、ケイっていう女の子のベーシストがいたよ。僕らはちょっと真面目にバンドをやろうってことになって(と、いってもそんなに真剣ってわけでもないけど)イギリス全域でライブをするようになった。殆どはSOFAHEADと一緒だった。だから、僕らはMEANTIME RECORDSのイアンと出会えたんだけど。彼が僕らのフルアルバムをオファーしてくれたので、メンバー全員手持ちのお金を全部集めて13曲をレコーディングした。お金がなかったから全てのレコーディング作業を10時間でやった。それが アルバム“DO THAT AGAIN”のサウンドがクソみたいな理由(笑)。アルバムをリリースした後、イアンのレーベルは潰れてしまったから(僕らのせいじゃないよ!)その後の3枚のシングルは違うレーベルからのリリースになっている。POP KID RECORDSから“Blink” 7”、VINYL JAPANから”Water Powered Teenies” 7”、PIG DOG RECORDSから同じくイギリスのバンドLITHIUM JOEとのSPLIT 7”。90年代初期のイギリスではポップパンクは人気がなかったね。メインストリームの「オルタネイティブ」音楽ってやつは、グランジやインディーバンドで占められていて、雑誌からもポップパンクバンドは黙殺されていた。だけど、僕らは気にしてなかった。小さいところでライブをすることを楽しんでいたし、誰かの家の床で寝かせてもらって。もし出来るなら明日にだってまた同じことを喜んでやるよ。」

▲自分達でGANのサウンドを説明するとしたら?

C「女の子なんかについて歌っているファストメロディックパワーポップパンクだね!」

▲GANはSNUFFやGOOBER PATROLのようなUKメロディックパンクバンドだけではなく、GREEN DAYのようなUSポップパンクに影響を受けていたのでは。バンドを結成した時はどんなバンドを聴いていて、どんな感じのサウンドを目指していました?

C「初期のGREEN DAYはSCREECHING WEASELやBAD RELIGIONと同じように僕らに大きな影響を与えた。当然ながら、SNUFFやLEATHERFACEも。こういったバンドが僕らにパンクロックでもメロディックでいいんだってことを教えてくれた。全て攻撃的じゃなくてもいいってね。」

D「GAN結成前は、CARCASS、BOLT THROWERやVENOMなんかのスラッシュ/デスメタルを聴いていたよ。世界中の人とテープ交換している友達からBAD RELIGIONやDESCENDENTS、SNUFFを教えられた。このバンド達は今でも飽きることなく大好きさ。」

▲今回の再発化の話を最初に聞いた時はどう思いました?僕がずっとやりたかったんですけど。久しぶりに自分達の曲を聴いたと思いますが、どんな感想を持ちました?お気に入りの曲もそれぞれ教えてください。僕は”SHUT UP & LISTEN”なんですけど。

C「アストンからは、かなり前から連絡をもらっていたけど、僕はすごい興味を持っていた。正直に言うと、リリースに時間がかかったのは僕のせいなんだ。アストンにリマスタリングしてマスターを送るとずっと約束していながらやってなかった。アストンとキミには待っていてくれたことを感謝しないと。僕も”SHUT UP & LISTEN”と”YOU LOSE”は速くて好きだな。一番好きなのは”ALONE AGAIN”かな。人生で楽しかった時を思い出させてくれるから。Youtubeの映像を見て欲しい。」

D「うーん、僕はDO THAT AGAINが本当に嫌いだったからディスコグラフィーはやりたくなかった。聴くのも嫌だった。けれども、好きな曲はたくさん収録されている。今回の話をクリスが全部まとめてくれて良かったよ。昔の楽しかった頃の写真を見直したりして、こうしてまた新しいGANの音源を出せたなんてうれしい。僕的には7”の音源の方がいいと思うけどね。僕の好きな曲は”HERE IT COMES”。アンディーが当時凄く良い曲を書いていて、僕とワーティーのハモリも好きなんだ。解散近くの頃、GANはライブをあまりやっていなくて、7”の曲は全然やっていないから飽きていないってのもあるな。もしアンディーがGANの新曲を作ってくれるなら、ぜひ録音したいなと思うよ。」

▲どうして、そんなに1stアルバムを気に入っていないのですか?すごく良い曲が収録されているのに。今回、このインタビューが掲載されるこの雑誌でも、90年代の数あるUKメロディックパンクレコードの中でも、重要レコードとして過去に紹介されていますよ。

C「だってレコーディングには、想定していたよりも全然時間をかけられなくて。確かに曲はいいと思うけど、2日間で録音して常に急ぎっぱなしだったし。」

D「メンバー全員手持ちのお金を全部集めて13曲をレコーディングしたんだ。お金があまりなかったからスタジオに長い時間入れなかった。全てのレコーディング作業を10時間で完成させた。それが “DO THAT AGAIN”のサウンドがクソみたいな理由(笑)。聴くのも嫌だけれど、好きな曲もたくさん収録されているんだよね。今回のリマスタリング作業ですごい良くなったから、今は気に入ってるよ。」

▲日本のアニメに影響を受けたジャケをアートワークに使っていますね。誰のアイデアだったのですか、また誰があのアートワークを描いていたのですか?

C「ディーンってやつが漫画っぽいアートワークは全部手がけている。当時、僕ら全員漫画に夢中だったから、自然の流れだったね。そうそう、数年前にディーンをFacebookで発見したから、今回リリースされたディスコグラフィーに彼が昔、描いた絵を使うよって連絡したんだ。それなのに、やつは全く返信をしてこないけどね(笑)。」

▲それなのに勝手に使ってると(笑)。

D「今のイギリスでは、漫画はどこでも見つけられるんだけど、91年当時は手に入れるのは本当に大変だった。日本やアメリカの人に手紙を書いて、電影少女やバブルガムクライシス、きまぐれオレンジロードなんかのビデオをダビングしてもらっていたよ(笑)。」

▲1stアルバムはトータルで何枚プレスだったのですか?あのCDはオークションで恐ろしい落札価格なのですが。

C「アナログは500枚でCDは1000枚だったと思うよ。間違えているかもしれないけど。僕は、まだCDを持っているよ。誰かオークションで落として(笑)。実はディストリビューターが大量の売れ残りを破棄しているんだよね。イアンが彼等に借金をしていたかなんかでさ。そのおかげで僕らは当時、そのディストリビューターから1ポンドで手に入れてライブでは5ポンドで売ることが出来た。でも、あんまり売れなかったね。」

▲あのHELLKRUSHERのCD盤面自体はミスプレスですよね?『ボーナスでHELL CRUSHERのアートワークになっている限定のミスプレスです』っていうステッカーが貼ってあるのは面白いです。あれは、誰のアイデアだったのですか?

C「いやいや、イアンは否定しているけど、あのミスプレスはイアンのミスだと思う。あのステッカーは、手に入れた人が間違ったCDが入っていると思い、店に返品しないようにしたイアンのアイデアだね。BOSS TUNEAGEのアストンが冗談で今回のリプレスのCD盤面をオリジナルのミスプレスと同じようにHELLKRUSHERにしようぜって言っていたけど(笑)。あっ、一度HELLKRUSHERのライブを見に行ったんだよ。彼等マジで恐かった!」

▲イアンはMEANTIME RECORDSを辞めて、名前を変えてS.M.R.を設立しましたね。もしその理由を知っていたら教えてください。

C「その話は教えてあげられるけど、僕が言ったのがイアンにバレたらきっと殺されちゃうからやめておくよ(笑)」

▲POP KID、VINYL JAPAN、PIGDOGからリリースする経緯を教えてください。それぞれのプレス枚数は?

C「アルバムが失敗してからというもの、彼等が唯一僕らをリリースしてくれたレーベルだから。」

D「オファーをしてくれて、僕たちはそれにイエス!って答えただけ。それぞれ何枚プレスしたのかな?きっと1000枚以下だろうね。」

▲RUGGER BUGGER DISKのショーンがバンドを選んで、SNUFFY SMILEがリリースしたUKメロディックパンクバンドを集めたコンピBest Punk Rock in England, man?に参加しましたが、当時日本から反応の手紙とか来ました?

C「それ、まったくわからない。デイブに聞いて。」

D「長い間、日本の誰からも連絡は来なかった(笑)。」

▲カバーはBAD RELIGIONにNENA、しかもKLAMYDIAまでやっていますね。BAD RELIGIONとNENAのカバーは選択した理由はわかるんですが、なぜKLAMYDIAをカバーしているのかがわかりません。彼らって当時イギリスで人気あったのですか?彼等の初期の音源は日本では入手難しいので。

C「デイブがKLAMYDIA好きだったんじゃないか?僕的にはあのバンドはクズだと思う。」

D「うん、彼らはクズ(笑)。あの曲は面白い曲だと思っていたんだよ。誰かが僕にくれたテープに入っていて。」

▲では、GANの曲は誰が作っていたのですか?

C「最初はアンディーが曲を作って、デイブが歌詞を書いていた。初期メンバーのケイも辞めさせられるまで曲を書いていたと思う。僕は”DAYDREAMING”、”TOP SECRET”、”ALONE AGAIN”を作った。自分でGANのベスト曲って言っちゃうけどね(笑)。」

▲“I SAW YOU YESTERDAY”って2バージョンありますよね?アルバムとBOSS TUNEAGEのFLOOR 81コンピ。FLOOR 81コンピバージョンは女性のコーラスが入っています。あれは誰がコーラスやっているの?ケイ?

C「あれはケイがコーラスをやっているよ。デモ音源のバージョンでマスターは紛失していると思う。デイブ、テープのコピーは持っているよね?」

D「うん、持っているよ。初めてGANが録音したデモ音源でケイがベースを弾いて歌っている時期のだね。もし、誰か僕にテープデッキを貸してくれれば、Myspace にアップロードするよ(笑)。」

▲よく一緒にライブをやっていたのはSOFAHEADですか?当時の面白い話ってありますか?

C「やっぱり、リリースしてたS.M.R.(MEAN TIME RECORDS)を運営していたイアンのSOFAHEADだね。彼等と何回かツアーもして楽しかった。すごくいい人たちだからすごく楽しかったよ。ワーティーはいつもイアンにWWFスタイルのプロレス技をかけられててね。面白かったな(笑)。」

▲ツアーは頻繁にやっていたのですか?イギリス以外もツアーしました?

C:イギリスから一番離れているのはアイルランドかな。その時はREVS と短いツアーをやったね。面白かった話は、会場が洞窟だったニューロスってところでのライブと、ベルファストで僕らの前座を努めたのがあのASHだったときだね。あのASHだよ!今じゃすごい有名な。奴らはマジでクソだった。当時、彼らはまだ14歳くらいだったと思う。今でも彼らのことはクソだと思うけどね。くたばれASH!(笑)」

▲(笑)。解散の理由は何だったんですか?どういう状況だったのですか?

C「最後のライブが96年。あの当時僕らはみんなバラバラなことをやっていたし、違った場所に住んでいたから、あのまま続けていくことは不可能だった。」

D「ワーティーとアンディーは大学に通う為にここから引っ越して一緒にやっていくことは難しかった。僕とクリスはONE CAR PILE UPを始めたし。だから自然的に解散の道に進んだね。」

▲メンバーそれぞれ今もバンドをやっていたりライブを見にいったりしているのですか?

C「GANは96年に解散した。もし高いギャラをくれたり、日本ツアーに誘ってくれるなら再結成するね(笑)。デイブといえば、こないだPROPAGANDHIのライブで見かけたな。」

D「(笑)僕とクリスはONE CAR PILE UPってバンドをまだ続けている。ONE CAR PILE UPの初ライブはGANのラストライブの日だった。それ以来そのバンドを続けている。今年の3月、そのバンドのライブのときに、解散以来、初めてGANのメンバー全員が揃ったんだ。アンディーとワーティーに再び会えて嬉しかったな。それでディスコグラフィーのブックレットの裏の写真を撮ったんだ。」

▲当時、住んでいたリンカーンシャーってどんなところですか?今もそこに住んでいるのですか?

C「僕とワーティーは今もリンカーシャーに住んでいる。デイブも最近また戻って来た。アンディーは世界旅行に出かけて、その後はロンドンの近くに住んでいるよ。リンカーシャーは、ほとんどの土地が田舎の農場。アンディーの家は農家だったから、収穫の時期はトラクターに乗っていたし。そういえば、ワーティーはアンディー家の収穫を手伝いにいっていたな。だから収穫の時期のライブは調整が必要だったんだ。収穫の時期になるとパンクロックはお預けみたいなね(笑)。」

▲GANが好きな人が日本にいるってどんな感じですか、変な感じ?

C「あったりまえだよ、ホント変な気分。活動中当時は全然そんなリアクションはなかったのに。今でもGANを好きでいてくれる人だから最高にクールな人だろう。」

▲日本のバンドで誰か知っています?

C「Hi-STANDARDとNAVEL!」

▲Hi-STANDARDはわかりますが、なんでNAVELを知っているんですか?

C「NAVELは彼等のUKツアーのときにONE CAR PILE UPとして共演しているから。多分リーズのライブだったと思うよ。」

▲デイブとクリスって実は兄弟なんですか?

C「違うよ。似ているけどね。僕の方が背も高くて、モテるな。二人ともハゲてるけどね(笑)。」

D「みんなに僕らは兄弟だと思われるけど、二人ともメガネをかけているだけだって。」

▲では、最後にずっとディスコグラフィーのリリースを待ち望んでいてくれた日本のファンにメッセージを!

C「ディスコグラフィー買ってね。日本ツアーをしたいから実現させて。」

D「君たちは狂ってる。だけど最高だよ。GANが日本に行けるようにWATERSLIDEにお願いしてね。」

(※このインタビューはDOLL No.264  2009年8月号に掲載文とSupermarket Fantasy Vol.10に掲載文を合体させた完成版です。)

p.s. 2009年7月にデイブとクリスに会うことが出来た。まじで禿げてた(2009/01/06)