interview with Tommy Stupids(STUPIDS)

当時のイギリスの現実的じゃないパンクと比べて、アメリカのバンドはおれに心底こういう音楽を演りたいんだって思わせてくれた

鋲付き革ジャン、スパイキーヘアーといったイメージの強かったイギリスハードコアシーン。80年代中期にベースボールキャップとスケートボードといった姿でアメリカンハードコアを持ち込んだ最初のバンドとして後のイギリスのハードコアバンドに与えた影響は多大であり、現在も世界的に高い評価を得ているSTUPIDSです!!!イギリスの国営ラジオ局BBCにてパンクロックを流す名物番組として有名なJOHN PEEL SESSIONSにハードコアバンドとして登場したバンドでもあります。そんな彼等のサウンドはUK/USハードコアファンのみならず、スケーター、メロディックパンク好きな人にも受け入れられる、ファスト+ポップなハチャメチャなサウンドはマジでしびれます!!TOMMY以外のメンバーは流動的ではありましたが、このバンドを経由していったメンバーの中には後にSINK〜CHOCOLATE〜K-LINEを結成するEd ShredやPERFECT DAZE〜LOVEJUNKで活動中のWolfie Reatrdと今なおUKパンクロックシーンで頑張っていますしね。そんなSTUPIDSですが、これまでに初期の作品は形を変え再発をされたこともありますが、今回フロントマンのTOMMY STUPIDSが初めて完全協力をし、今まで未発表だった音源や87年にDCで行われたライブの模様も収めたSTUPIDSの完全ヒストリーを詰め込んだ初期音源4作品を一気にリリースされました(後期STUPIDSの作品も同時期に再発決定)!現在はDJとして世界中を旅しているSTUPIDSの創始者でもあり、この人こそがSTUPIDSそのものであるTOMMYに忙しい中インタビューを行いました。抱いていたやんちゃで取っ付きにくいといったイメージとは全く違い、インタビューにも一つ一つ丁寧かつフレンドリーに回答してくれました。これまであまり情報の少なかった彼等のことを知ることが出来る内容になっていると思いますので、楽しんでいただければ幸いです。そしてなんと、STUPIDSとして再び活動する準備も始めているようです!!

▲初めまして!日本ではSTUPIDSの音源は有名ですけれども、バンドについての情報が乏しいのです。まずは自己紹介と、STUPIDSがどのように結成されたのかを教えてください。実際STUPIDSを結成した時って何歳の時だったのですか?

やあ、おれはTommyファッキンStupid!本当にこんな機会を持ててうれしいよ。STUPIDSは俺が14歳の時に結成したんだ。メンバーを学校でずっと探してたんだけど運がなくて。ある日『PUNK LIVES』っていう当時あったパンク雑誌を見てたら小さいメンバー募集のところにWolfieがアメリカのバンドみたいなパンクバンドをやりたいって書いてあって、しかもやつは俺と同じ街に住んでいたんだ。こんなことって滅多にあることじゃないから、連絡を取って俺たちは一緒にやることになったんだ。メンバーは後で色々変わっていくんだけど。俺は最初ギターを弾いていたんだ。最終的にはSTUPIDSとしてみんなが知ってるようにすぐにドラマーになるんだけどさ。」

▲僕が初めてSTUPIDSを聴いた時は、イギリスにこんなバンドがいるのかとめちゃくちゃ驚きました。それまでのイギリスのバンドとは明らかに音が違っていたので。アメリカに友達がいてテープのトレードをしていて、あなたはDCハードコアやBOSTONハードコアを聴いてぶったまげたという話を聞きました。当時好きだったバンドは何だったんですか?GANG GREENとかの影響を感じるんですけど。

「俺はアメリカで生まれて、イギリスに戻るまで数年アメリカに住んでいて幼稚園も向こうで通ってたんだ。そこでJohn Daleっていうやつと友達になった。でもイギリスに戻ってきた後は全然連絡を取っていなかったんだけどね。数年後に、俺の姉ちゃんがJohnの家族の家を訪れた。1982年の3月位かな。その時に姉ちゃんがJohnもハードコアが大好きってことに気づいて。それからJohnがBOSTONからラジオやレコードをテープにダビングして送ってくれるようになったんだ。彼からのテープが、俺がSSDやTHIS IS BOSTON, NOT LAみたいな危険な速度のハードコアを初めて聴いたきっかけなんだ。当時のイギリスの現実的じゃないパンクと比べて、アメリカのバンドはおれに心底こういう音楽を演りたいんだって思わせてくれた。当時のイギリスでは誰もやっていなかったようなサウンドを。」

▲これまでにCLAYから1stアルバムと2ndアルバムをまとめた2 in 1 CDも再発されていましたが、今回の再発化のオファーがBOSS TUNEAGEからあった時はどう思いましたか?
「ついにちゃんとしたSTUPIDSのカタログが出来るなって思ったよ。CLAYからリリースされたやつは正直酷いよ。あのCDはただ単に勝手にリリースされただけで俺たちは何も関与していないし、再発された時もノータッチだったしね。BOSS TUNEAGEのAstonは再発の神様だよ。最高に楽しいやつだし、みんなが何を望んでいるかマジでわかってるやつだ。だから今回のリリースはすごいうれしいよ。」

▲今回改めて自分達の音源を聴き直してみてどうでしたか?個人的にはBorn To Built To Grind、The Memory Burnsが大好きなんですけど。

「1stアルバムの『Peruvian Vacation』が今だに大好きだね。ハードコアの純粋さを表していると思うよ。”Yah Dude”が気に入ってる。笑顔にさせられる曲だね。」

▲STUPIDS結成当時は、伝統的なUKパンクロックバンドがまだ残っていたと思いますけど、ライブとかでオーディエンスのSTUPIDSへの反応はどうでした?最初のシングル『Violent Nun』のリリース前とかどうでした?

「うーん、最初の頃はSTUPIDS自体どうしようもなかったしな。初期は俺がギターを弾いていて、当時のドラマーは正直最悪だったし。だから反応はいつも本当に冷たかったよ。俺がドラマーになって、Marty Tuffをギターとして迎え入れてからは反応は全く変わったね。めちゃくちゃ曲が速くなっただけでなくて全体的にタイトなサウンドになったから。もしかしたら俺たちいけるんじゃねぇのかと初めて気づいたのは、ノッティンガムでCHAOS UK、ONSLAUGHT、CONCRETE SOXなんかと一緒だったEARACHEのDigの企画だったね。この夜の反応は狂ったように凄まじかったよ。誰も俺たちが誰かなんて知らなかったのに。俺たちはベースボールキャップをかぶった変なガキみたいなルックスでさ。でもElephant Manを演奏し始めた途端に会場中がめちゃくちゃになって、みんな絶叫していたよ!ライブ後にCHAOS UKのMowerが話しかけてきてブリストルのC.O.R.(Children of the Revolution Records)を運営しているTim Bennetにコンタクトするように言われたんだ。で、彼にデモ音源『Leave your ears behind』を送ったってわけ。それからSTUPIDSの歴史が始まったんだよ!」

▲ちょっと似かよった質問になるんですけれども。。『Violent Nun』はイギリスのハードコアシーンにすごいインパクトを与えたと思います。あなた達はUSハードコア直系の初のUKハードコアバンドだと思うんですよ。恐らく伝統的なイギリスのパンクスには嫌われたんじゃないですか?逆に受け入れられる人にはとことん受け入れられたように。実際シングルリリース後にあなた達を取り巻く環境に変化ってありましたか?ライブでの受け入れられ方とか、どうでしたか?

「うん、シングルリリース後は明らかにどんどんみんなに俺たちのことが知られていったな。だからライブに見に来てくれたり。あの時期は色々と変化し始めていった時期ですごいエキサイティングだった。クラスティーズとスクワットで競演したりもし続けてたけどね。色々いい思い出があった時期だね。」

▲1stアルバム『Peruvian Vacation』を聴いたときはすごい衝撃でした。恐ろしく速くてエネルギッシュで、でもポップな部分もすごいあって。あのレコーディングには実際どのくらい時間をかけたんですか?レコーディングのときのエピソードってありますか?最初は『Mr.Adult』ってタイトルでリリースするつもりだったんですよね。しかもADICTSのPete Daviesをプロデューサーとして本気で起用するつもりだったんですか?どうやって彼と知り合ったんですか?

「『Peruvian Vacation』はレコーディングとミックスを合わせても4日だったと思う。『Mr.Adult』は『Peruvian Vacation』の元ネタなんだけど音が気に入らなかったから録り直しをしたんだ。だけどスタジオはマジで最高だったよ。プロデュースしてくれたやつの両親が住んでいる郊外にある家の屋根裏部屋だったんだ。俺たちが彼の両親の寝室の天井を崩れさせる原因になっちゃったんだけど。Pete Daviesは『Violent Nun』の”プロデュース”をしたんだけど、あいつは全く使えないやつだったね。あいつがやったことと言えば、俺たちに遅く演奏しろと言い続けたくらいだ。」

▲『Peruvian Vacation』と『Retard Picnic』ではサウンドに多少違いを感じます。『Retard Picnic』の曲の方がメロディックになって、ギターリフもキャッチーで耳に残りやすくメロディアスになっていますね。当時あなたはカリフォルニアにスケートボードをしに行っていましたよね。1stアルバムリリース後に聴いているものに変化などあったのですか?アメリカでは誰とつるんでいたんですか?何か曲作りにおいて心境の変化等あったでしょうか?

「そうだね『Retard Picnic』はわずかに後の作品で、俺はその当時BOSTONハードコアよりも、DCハードコアに夢中になっていった。DCハードコアがメロディックや後にEMOと言われる音に向かっていったのに対して、BOSTONの奴らはメタルやロック的になっていった。だから俺は、RITES OF SPRINGやDAG NASTY、EMBRACEといったバンドを聴いていたんだ。DCリボルーションサマーの時はDCにいて、たくさんショーを見たよ。RITES OF SPRING、EMBRACE、DAG NASTYの初めてのショーの時にもその場にいたし、BLACK MARKET BABYにSCREAMなんかもね。Dave Grohl(FOO FIGHTERS、NIRVANA)がドラムをやっていたMISSION IMPOSSIBLEのライブも3回くらい見たよ。そう、俺はTOXIC SHOCKレコーズのあったカリフォルニアのポモナって街に殆どいて、TOXIC SHOCKで短期間働いていたんだ。PILLSBURYハードコアシーンのやつらと遊んでいて、FAT CATっていうバンドも夏の間だけだったけどやってたんだ。」

▲そういえば、『Peruvian Vacation』と『Retard Picnic』のアナログは色違いありますよね。『Peruvian Vacation』は青と黄色と黄緑色。『Retard Picnic』は白地に赤字のロゴと、紫色の。何色何枚出てるんですか?あと、ジャケは誰が描いてるんですか?

「俺の覚えてる限りそれで正しいよ。『Peruvian Vacation』は黄色がファーストプレス。『Violent Nun』も1000枚を2回プレスしていて、最初の1000枚がインナー付きのやつだ。ジャケを描いてくれたのは、俺の学生時代の友達でClive Leverってやつだよ。授業中に『Peruvian Vacation』と『Retard Picnic』両方の絵を描いてくれたんだ。おれがやつに授業中にアイデアを小声で伝えて、やつが描いた。全部授業中に出来たんだ。」

▲STUPIDSとして活動中にCOOLEST RETARDSやFRANKFURTERといったサイドプロジェクトバンドも同時にやっていましたよね。楽しむためにですか?それともサイドプロジェクトには、別の目的があったのですか?

「COOLEST RETARDSは、カナダのNEOSに影響を受けて、激ショートソングを連発するってアイデアが気に入って純粋に楽しむためにやったんだよ。イギリスに練習は絶対にしない、起きてすぐに演奏するっていうSCUM DRIBBLERってバンドもいたんだ。で俺たちもそういう感じやろうと思ったんだよね。FRANKFURTERはEdとDCから遊ぶにやって来たやつらと遊びでやってたんだ。SHREDDER TO THINKのStuart Hillがオリジナルベーシストなんだけど。StuartはSTUPIDSのUSツアーでベースをやってくれたりもしたんだ。FRANKFURTERの音源のレコーディングでは、おれが全ての楽器を演奏して録音し、EdとBobbyと俺が歌ってるんだ。STUPIDSの音源の合間にやるだけだったんだけど、結局STUPIDSのライブでFRANKFURTERの曲は演奏してたよ。」

▲『Van Stupid』からレコーディングの品質もすごい向上しましたね。それまでよりもレコーディング自体に時間を費やせるようになったからですか?2ndアルバムの『Retard Picnic』までとは全く音が変わったように思います。あの当時、NME誌やSOUNDS誌の表紙をあなた達が飾るようにもなりましたよね。あなた達を取り巻く環境もかなり変わったのではないかと思いますが。

「それまでの初期の音源は全部同じスタジオで録音をしていたんだけど、『Van Stupid』はVINYL SOLUTIONからのリリースだったから、レコーディング代もレーベルが負担してくれて別のスタジオでじっくり臨むことが出来たんだ。当時の状況はあまり覚えていないんだけど、とにかく楽しかったよ。みんなが俺たちがやっていることに注目していることをわかってたから、それを利用して狂ったようにやってたよ。」

▲STUPIDSとしてこれまでにどの国をツアーしました?どこの国が一番印象的でした?
「正直に言うとイギリス以外でツアーを殆どやってないんだよ。アメリカとオーストラリア、それともちろんイギリスはツアーしたけど。アメリカツアーが一番面白かったな。オーストラリアは国がでかすぎだ。おれたちはHARD-ONSとツアーしたんだけどね。」

▲どのバンドとよく対バンしてたんですか?C.O.R.からリリースしてる時はC.O.R.の所属バンドとかですか?CHAOS UKと一緒にやってるフライヤーは見たことあるんですよ。CHAOS UKのファンってSTUPIDSを見てどんな感じだったんですか?後期STUPIDSのことも興味あるんですけど。

「ファック!覚えてないよ。相当な数のやつらとやったっていうのに。。RIPCHORD、DEPRAVED、CHAOS UK、ONSLAUGHT、Dr. AND THE CRIPPINS、NAPALM DEATH、CONCRETE SOX、CIVILIZED SOCIETY、それにもっともっとだけど。。VINYL SOLUTIONからリリースするようになってからはVINYL SOLUTIONのバンドが多かったな。BOLTTHROWER、ABSにLES THUGS、VISION OF CHANGE、INSTIGATORS、SNUFF、SCREAM、GAYE BIKERS ON ACID、BAD BRAINS、それにGANG GREENやCIRCLE JERKSともやったよ!」

▲STUPIDSの最後はどんな感じで終了したんですか?何か理由はあったのですか?

「自然に終わったって感じだよ。飽きちゃったら興味がなくなるでしょ、そして色々なことを試してみたくなって。」

▲あなたは現在、何をしているんですか?

「KLUTEって名義でドラムンベースのDJをやってて、COMMERCIAL SUICIDEってドラムンベースのレーベルを運営してるよ。もうこれを15年やり続けていてDJとして世界中を旅してるんだ。日本にも4回行ってるよ。日本はすごい大好きだよ。」

▲最近は何を聴いてるんですか?お気に入りは何ですか?

「60年代のサイケをよく聴いてるね。パンクだとFUCKED UPの大ファンだね。あとはDIRECT CONTROLやSTRAIGHT JACKET NATIONなんかも。お気に入りは60年代のMILLENIUMの『Begin』ってアルバムだな。」

▲たくさんの質問に答えていただきありがとうございます!STUPIDSとして再度やる予定ってあるんですか?いまだにSTUPIDSの熱狂的なファンもいますので、メッセージがあればお願いします。

「うーーーーん。。イエス!実は新しいシングルをレコーディングしたばっかりなんだよ。すごい楽しかったよ。日本へのメッセージはツアーに誘ってほしい!信じるか信じないかはいいとして、日本に行きたいっていうのがSTUPIDSとして再びやり始めた理由なんだ。日本に行ったときにディスクユニオンとか大阪のタイムボムなど何件もパンクロックレコード屋を廻ったんだけれども、そのセレクションには本気でびっくりしたよ!イギリスでよりもたくさんお金を使ったよ。その時にSTUPIDSの初期の音源が高くなっているのも知ったんだ!!日本のみんなにはホントに感謝してるよ。」

(※このインタビューはDOLL No.253 2008年9月号に掲載されたものです。)

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