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(歴史)
BEN GRIMは1995年アメリカウィスコンシン州ニーナという街でPeter SaturdayとJayme Johnsonにより結成。Peterは、G-WHITZとのスプリットリリースでもお馴染みなKING FRIDAYでボーカルを担当、JayneはSEVEN POUND FROM OSHKOSHというローカルバンドでボーカルを担当というボーカリスト2人が開始したというのも面白い。
二人はJayneの家で好き勝手にジャムセッションを楽しんでいたのでが、こんなセッションも彼等がこれまでやっていたバンド同様、長くは続かなかった。ある日Peterが暇つぶしにモールをぶらついていたらJoel Wegeに出会い、一日中音楽について語り合い親友になったのだそうだ。その時にJoelは自分も曲を書いていることを話しいていたそうだが、当時彼はデスメタルバンドEXPERIMENT FEARでボーカルをやっていたから、彼がちゃんと歌えるということは全く想像していなかった。だからPeterとJayneはバンドにJoelを迎えても叫んでいるだけじゃないかと思っていたし、実際に彼のバンドのライブも何度も見ていたからなおさらだった。
しかし、そんな思いも、Joelが作曲した曲を歌う姿を目にしてすぐに消え失せた。彼等はJoelのウルトラキャッチーなパワーポップチューンに一瞬でぶちのめされたんだ。Joelは躊躇していたものの、最終的にはなんとか一緒にセッションすることに持ち込むのだった。Peterはギターを諦めベースを担当することになり、Jayneは真面目にドラムに取り組むことになった。二人は毎日夕方にPeterの家の地下室で1ヶ月間文字通り練習に真剣に打ち込むことになるのだった。彼等はJoelを迎え入れ、真剣なバンドとして活動できるよう完璧なリズム隊を目指していた。
セッションを開始して、JoelとPeterのアイデアで二人がリードボーカルをやることになり練習を重ねていく。曲は彼等で作り上げていたが、すぐに何かが足りないことを気付いた。彼等にはもう一本のギターが必要で、その誰かはすでに彼等の頭の中にあった。
すぐにPeterとJoel Wege二人の友人でもあるJoel O’brienに連絡をした。彼は二人が共通してお気に入りのアコースティックソングを作っていた。すぐにJoel O’brienはアコースティックギターからエレキギターに持ち替え3番目のボーカリストになることになった。彼はBEN GRIMの曲の中でもベストソングをいくつも作曲している。
4人は学校が終わるとすぐに毎日練習に明け暮れていた。ライブが出来る状態になると、すぐにDOUGHBOYS、ATARIS、DILLINGER FOUR、PEGBOY、FACE TO FACEなどといったバンドのオープニングアクトをつとめる存在になっていく。
USツアーは仲の良かったバージニアの伝説のメロディックパンクバンドFUN SIZEと二度行った。1998年末、彼等は僅か3年間の活動だけで解散してしまう。
これまでにリリースされたのは4枚の7”シングル、1枚のミニアルバムCD、いくつかのコンピレーションアルバムに参加している。そして2004年にイギリスのBOSS TUNEAGEからディスコグラフィをリリース。Maximum Rock’n’Roll誌上では「90年代の最高にアップテンポなベストポップパンクバンド!」と当時レビューされた。数年前に彼等は再結成をして、盟友FUN SIZEとスプリット音源をリリースすると宣言したが、現在も完全沈黙のままである。。。