Interview with Baz Oldfield(ABS, DR.BISON)

肝機能障害で死にそうになってバンドは解散したよ

80年代後半から90年代にかけて世界中で盛り上がりを見せたメロディックパンクロック。UKメロディックパンクシーンにおいて、名盤と称される音源をリリースしているバンドの中で、当時、国内盤としてリリースされたバンドの名前を挙げるとSNUFF、LEATHERFACE、MEGA CITY FOUR、MIDWAY STILLというバンドに加えてこのABSだけだ!ただ、このバンドは他のUKバンドと違ってイギリス特有のじめっとしたサウンドはなく、ただ楽しむ為に飲んだくれてロックン・ロールをしたっていいじゃないか!という自由さが前面に溢れていて、聴いたものをウキウキさせてくれる痛快なロックン・ロールを演っている貴重なバンドだ!!2008年6月に、長らくレア盤状態となっていた全発表音源に加えて、うれしいことに今回初の音源化となるBBCのジョンピールセッションの模様や、出血大サービスな未発表曲を含んだライブ録音までを収録した完全コンプリートディスコグラフィーが2枚組で1990年から続く老舗UKレーベルBOSS TUNEAGEから登場した。CDにはバンドのソングライターでもあり、フロントマンのBaz Oldfieldによる、ふざけて書かれ意味不明なすさまじいライナーがついているが、今回のインタビューで彼は意外にも真面目に答えてくれています(期待していなかっただけにホントにビックリ!!!)。ABSの結成から解散理由も含めた当時の状況や、後にH.D.Q.〜LEATHERFACE〜JONES〜STOKOEのギタリストDickieと解散後に結成したDR. BISONについてまで、今まで全く知られていなかった彼等のことをたっぷりと聞くことが出来ました!お楽しみください。

▲やあBaz!初めての日本の雑誌でのインタビューだから、まずはABSの歴史を含めて自己紹介をしてくれる?

「ハローみんな、Baz Oldfieldだよ。サウスウェールズのABSのボーカル、曲を作っていて、ギターも弾いてる。1980年に弟であり、そしてどうしようもないくらい飲む弟のThe Reverend( 以下、Rev)をドラムとしてバンドを結成したんだ。数年後にギターとコーラスにBryn Jonesが加入する。最初の7″シングル『GREASE YOUR RALPH』をリリースする直前にFatty Ashtrayがベースで加入。このシングルはジョンピールセッション(BBCの名物コーナーでバンドの登竜門的番組)に出演する機会を作っただけでなく、バンドのライブ回数を増やしてくれたね。次いで、ロンドンのVINYL SOLUTIONから『TURBOSPHINT』12″シングルをリリースする。んで、LINKレコーズから1stアルバム『MENTALENEMA』をリリース。このアルバムは日本でもテイチクからリリースされた。それからというものは何度もヨーロッパ中をツアーした。その後、Fattyがバンドを辞めてしまい、後にDUB WARに参加することになるDingoが加入して2ndアルバム『NAIL IT DOWN』をドイツのBLASTING YOUTH RECORDS(HDQもリリースしているレーベル)からリリース。それはかなりセールス的にも成功して、ライブも頻繁にやり続けてジョンピールセッションにも再度出演した。1992年に肝機能障害で死にそうになってバンドは解散したよ(笑)。」

▲どうやってバンドメンバーは集まったの?

「オリジナルラインアップはBert Sludge(ベース)とJohnny Figgs(ギター)って言う近所に住んでた奴らで、おれと弟のRevの幼馴染みなんだ。自家製ビールを造って一緒に酔っぱらってたんだ。俺たちはちょうど15歳でSTRANGLERSやSEX PISTOLS、BUZZCOKSといった新しいパンクロックに出会ったよ。また、B. Fununyonとして知られているBryn Jonesは1984年にABSに加入するまでは、彼は当時ABSが頻繁に対バンしていたDEATH PATROLっていうEXPLOITEDやVICE SQUADなんかのサポートをしていたバンドにいたんだ。Fatty Ashtrayは別のローカルバンドで活動していたんだけど、おれと弟と通っていた同じパブの常連で同じく大酒飲みだったんだだったんだ。Bert Sludgeが仕事中に3本の指を切断する事故に遭ってしまったから、彼を誘って加入することになったんだ。2ndアルバム『NAIL IT DOWN』でベースを弾いているDingoは、当時やつがいたバンドがABSと同じスタジオを使用していて、ある晩にセッションしてみたら、すごい楽しくてね。そんな感じで。彼はABS解散後、DUBWARっていうクロスオーバーバンドで成功したよ。」

▲最初のシングルを自分達自身でリリースしてすぐにBBCのジョンピールセッションに出演することになったよね。シングルの評判が良かったからだと思うけど。あの当時のイギリスのシーンはすごい活発だったなと日本にいても感じられたよ。実際、イギリスではどんな感じだったの?

「確かにデビューシングルの反響はものすごく良かったよ。みんなにすごい応援されたし。当時、一生懸命ライブもこなした。あのレコードがバンドを次のレベルに押し上げてくれた。あのレコードは最初に出演したジョンピールセッションの数週間前にリリースされたんだけど、ジョンピールは、あのレコードを手に入れてからすぐに、エンディングに毎晩かけてくれてたんだよ。で、すぐに売れ切れてしまったから、VINYL SOLUTIONはリプレスしたいっていうオファーをくれた。だけど、俺たちは新しい音源を作ることを決めたんだ。VINYL SOLUTIONと言えば当時、STUPIDS、HARD-ONS、 MEGA CITY FOUR、 PERFECT DAZE、CATERAN、 LES THUGSをリリースしてたイギリスで一番クールなレーベルだった。俺たちは地元でもあるサウスウェールズに、VINYL SOLUTIONの所属バンドを呼ぶ企画をして自分達の宣伝もしていた。サウスウェールズ以外の土地は、SNUFF、HDQやTHE SECTなんかが俺たちのことを宣伝してくれていたんだ。当時のシーンは本当に盛り上がっていて、多くのインディーレーベルが立ち上がり、ファンジンもどんどん登場して来たよ。HUSKER DU,、LEMONHEADS、BAD BRAINS、GOVERNMENT ISSUE、FUGAZIなんかも地元に来てくれて、すごい楽しかったよ。」

▲当時のフライヤーを見ると、後に君がRevと一緒にDR.BISONっていうバンドを組むDickieが当時在籍していたバンドHDQとよく一緒にライブをやっていた印象があるよ。誰とよくライブをしていたんだい?ツアーではどんな国を回っていたの?どこの国で一番盛り上がった?2ndアルバムをリリースしたレーベルもそうだけど、ドイツのOXファンジンでも取り上げられたりしてるところからドイツなのかなとも思うけど。ツアー中の面白かった話もあれば聞かせてもらえる?

「ABSは本当に色々なバンドとライブをしたよ。GEEN DAY、POGUES、GBH、SPERMBIRDS、CONFLICT、UK SUBSなんかとも。89年から91年にかけてはヨーロッパ中をツアーしたよ。フランス、イタリア、スイス、デンマーク、ハンガリー、ノルウェイ、オーストリア。でも一番多かったのはドイツだな。ドイツは、おれ達のエネルギーを愛してくれたし、おれ達のビールに対しての愛情も理解してくれてたしね!『NAIL IT DOWN』がリリースされた当時、ドイツ国内でも特にハンブルグ、ベルリン、ミュンヘンでは動員も多くなってきて、ライブもすごい盛り上がってたよ。特に盛り上がってたのはBLASTING YOUTH RECORDSの本拠地で友達も多かったマンヘイムだった。オーストリアのビエナでは、嘘ではなくてABSが貴族のように扱われたよ。彫師の世界チャンピオンだったやつがその街に住んでたんだけど、彼はABSの熱狂的なファンで一度たりともその街でやったショーを見逃さなかったんだ。ある晩、彼がただで好きな墨を入れてくれるって言ってくれたんだけど、やつが酔っぱらって椅子から転げ落ちたのを見て丁重にお断りしたね(笑)。」

▲1stアルバムの『MENTALENEMA』は日本のメジャーレコード会社から日本盤もリリースされてたね。それは知ってた?最初にリリースの話を聞いたときはどうだった?なんで当時日本に来なかったんだい?

「日本盤のリリース先がメジャーレコード会社なんて知らなかったんだよ。実際リリースされたのも解散後だったし。日本盤のCDってのを見たのもSNUFFが日本ツアーのお土産に持って来てくれたやつなんだ。だからその後、日本のレコード会社に手紙を書いて、何枚か送ってもらったんだ。解散後に、もしかしたらおれ達って注目されてたバンドなのかもって思った。DR.BISONでその数年後にドイツに行ったときに、ドイツで人気のあるバンドはABSみたいな音を演っていたんだ。SEXやサッカーについて歌って、ステージ上でビールを飲みまくってさ。みんな良い曲を聴きたかっただけなんだとその時、気付いたよ。だから、君の質問に答えると、おれは日本のメジャーレコード会社からリリースされてたってのはすごいビックリしたんだ。だって当時誰も俺らを日本に来てなんて声をかけてくれなかったからさ!」

▲1992年ヨーロッパツアーの後解散してしまったよね。ツアー中に解散を決断させるようなことがあったのかな?

「最後の大規模なヨーロッパツアーは91年のクリスマスだったんだ。俺たちはベルギーにいて、バンはドイツ、機材はポーランドって状況だった!なんか上手くいかなかったんだ。92年1月に機材を取りに戻って、ガソリン代を稼ぐために何回かライブをしたんだけど、その時には俺たちはばらばらになっていたんだ。B. Fununyonはすでに彼自身のバンドを結成するために動いていたし、Dingoは後にDUB WARとなるバンドから誘われていた。それは彼にとってもいい将来だったと思うし。おれも2ヶ月前に娘が産まれていたから、誰にとってもそろそろ終わりかなって思える状況だった。もし当時、俺たちが、ABSが後にメインストリームまでのし上がるヨーロッパのメロディックパンクシーンに多大な影響を与えることになるってわかっていたら、状況は変わっていたと思うんだけれども。俺たちはその近くまでいたんだけど、気づくには遅すぎたんだな。。」

▲最近、再結成をしたって聞いたんだけど本当なの?これからABSとしてやっていったり、新曲を作ったりするの?それとも、純粋に楽しむためにやったの?

「多分、それはDR. BISONのライブと勘違いしてるね。DR.BISONは大体、毎年夏にドイツのバイエルンで行われる夏フェスに古くからのファンに呼ばれて出演しているんだよ。ABSとしては92年1月にポーランドのレーワルデンでやったのが最後だよ。でもね、実はおれとRev、Dingo 、BrynでTHE JIBBERING HEAPSっていうサイコヒルビリーバンドをずっとやってるんだよ。俺たちがこれまでに影響されてきた音楽の要素が全部詰まってると思うんだ。このバンドはどうなってくのかわかんないけど。誰かリリースのオファーしてよ!」

▲今回BOSS TUNEAGEからABSの再発化の話を初めて舞い込んで来たときはどう思ったの?僕が言い出したことなんだけど。正直、自分達の音源を聴き直してみてどう思った。

「俺たち自身本当に喜んでいるよ。写真を見直したり、ライナーを書いたり、全曲聴き直したり、全ての作業が本当に楽しかった。ここ数週間、過去の色々な思い出が蘇って来てるし。5年間ABSをやっていて、無駄じゃなかったんだと。今、ABSを聴いてるんだけど、相変わらず自分自身で笑っちゃうような内容だね。演奏はタイトで、新しいことをやっているし、明るくて前向きな内容だと思うよ。」

▲どの曲がBaz的には好きなの?

「好きな曲?『GREASE YOUR RALPH』、本物のRalph(BBCの有名司会者)の前で歌ってやらないと。『WANIN’ IN THE BOG』は、コーラスがいいね。『TRIPPIN』もコーラスがいいな。『DEREK DOUGAN』のB. Fununyonのギターメロディーは神だと思うよ。」

▲現在は何してるの?他のメンバーも現在どういったことをしてるのですか?

「おれは現在もプロミュージシャンとして生活してる。8人編成でBLUES BROTHERS、 COMMITMENTS、OTIS REDDING、SAM COOKEなんかのカバーをしているソウルバンドのシンガーをやってる。あと、定期的に6人編成のバンドでレゲエやスカ、ラテンをやってるね。たまにさっき言ったTHE JIBBERING HEAPSやDR.BISONでライブもやってる。Revは最後の二つのバンドでは一緒だけど、いくつもの地元のバンドにも参加しているよ。BAD SAMARTINSっていうバンドをDingoとCOWBOY KILLERSのフロントマンだったBeddisと始めたばっかりだよ。BrynとB. Fununyonは二人とも結構評判の良い入れ墨師になってるよ。Fattyはカーディフ駅のトンネル補修をやってる。」

▲最近は何を聴いてるんですか?

「ここ数年はずっと同じものを聴いてるな。CLASH、REPLACEMENTS XTC, BO DIDDLEY 、SCREAMIN’ JAY HAWKINS、WHO、RUTS、JOHNYY CASH、URGE OVERKILL、MARVIN GAYE、RAMONESとか。最近のお気に入りアルバムはCHUCK PROPHETの『SOAP AND WATER』。先週ライブも見に行った。すごい良い声だしギターも良いんだよ。」

▲Dickieにも同じ質問をしているんだけどDR. BISONについて質問させて。どんな感じでDickieとバンドを始めることになったの?解散の理由は?DR. BISONって結構ツアーをしていたのかな?

「93年LEATHERFACEのグラストンベリーでのライブの後、弟のRevがDickieにバンドをやろうって誘ったんだ。俺たちとDickieとはABSとHDQでヨーロッパやイギリスツアーを一緒に回ったりしてるからずっと仲良くて、ツアーって言う名目で、同じバンで何百マイルも一緒に旅をして、ビールも一緒に恐ろしい量飲んでるしライブも一緒にやって来て、好きなものが同じようなのもわかってた。Revが誘った翌年に、おれが数曲新曲を書いてDR. BISONは現実になったんだ。みんなで3日間一緒に生活して、最初の2日は練習を繰り返し、最終日にレコーディングをした。出来上がった音源は最高だった!2枚のアルバムとシングルを1枚をリリースし、イギリス中を回り、BBCのテレビ番組にも出演した。ヨーロッパツアーにも3回行ったよ。GRAHAM PARKER、CHINA DRUM、CATATONIA、日本のULTRA BIDEともライブをしたよ。DR. BISONの音源や写真、BBC 出演時の様子はDR. BISONのmyspaceページで見ることが出来る。バンドは解散はしてないよ。ドイツからは未だにライブのオファーが来るしね。DR. BISONで演奏するのは楽しいから、時々やってるんだ。」

▲最後に。今回のディスコグラフィーを楽しみに待っていた日本のファンにメッセージを!

「ABSのこのアルバムはイギリスの古いパンクロックで良いと思う。もし俺たちの音が君を楽しくさせられなかったら、それは君はビールを飲み足りていないってこと!日本のファンのみんなありがとう!近いうちに会えることを望んでいるよ。」

(※このインタビューはDOLL No.252  2008年8月号に掲載されたものです。)